新世紀エヴァンゲリオン 貞本義行 原作:GAINAX・カラー 角川書店 全14巻
日本のアニメ史に残る衝撃作のコミカライズ版最終巻が、昨年発売された。あまりにも人気作であるがゆえ、数多のブログやサイトで詳細な分析や批評、解説、感想の掲載がなされているであろう。今更ここで記事にしたところでどこまでの価値があるのかもわからない。しかし、2015年は、この物語上では主人公達が次々と現れる謎の生命体である使徒と戦う舞台の年である。また、物語の重要人物である葛城ミサトとは、実は私自身がほぼ同年代で、今年ついに彼女の年齢になった。そのような時代的、個人的双方の点で節目となったこの時期だからこそ、超大作の振り返りを行ってみたいと思う。
物語は、2000年に起こった地球上の人類の半分を死に追いやった事件、「セカンドインパクト」から15年が経った世界を舞台とする。日本は現在の箱根辺りに「第3新東京市」を置き、謎の生命体である「使徒」からの襲撃に備え、巨大人型兵器「エヴァンゲリオン」を稼働させた。その巨大兵器を操縦する15歳前後の少年少女達を軸に物語は展開する。エヴァンゲリオンのパイロットに選ばれた主人公、碇シンジは、人との関わりを避けて日々を過ごしていたが、エヴァンゲリオンに携わる中で出会った友人や大人達と交流を深めることで、かけがえのない絆を作り上げていくのだった。しかし、シンジは徐々に、地球や人類の滅亡を防ぐというあまりにも大きな大義名分を抱えながら正体不明の敵と戦い、戦いの中で大切な友人達を失い続ける運命に対して、耐えがたい苦痛を感じるようになる。また、父親の碇ゲンドウが進める謎の「人類補完計画」の遂行に巻き込まれることになり、世界の命運はシンジの双肩に託されることとなるのだった。
アニメ版、劇場版とも少しずつ異なったストーリー展開と描写を特徴とする漫画版は、アニメが放送される前から連載を開始し、完結まで足掛け20年近くの年月を要した。結末の描き方は、自衛隊が第3東京市の要塞に侵入するというシーンを含む点では劇場版に似ている。そもそも繊細で内向的な人物を主人公に据えるという設定を用意したのは、本作が従来のロボットアニメに対するアンチテーゼを意識したものであるからであると制作陣は述べていた。ならば、自衛隊の描写は、主人公の内面の葛藤と世界の命運がシンクロする「セカイ系」に対するアンチテーゼと読み取れるのかもしれない。セカイ系ブームの火付け役となった本作が、20年の時を経てセカイ系では省かれるのが常套手段の社会や国家の姿を描いたというのは、何とも興味深い。
その他、アニメ版では最後絶望の淵に立たされるアスカに対して、やや救いのあるラストを用意していたり、綾波の淡い恋心を描写していたりと、アニメ版とは少しずつ違ったストーリーになっている部分が少なからずあり、アニメ版との比較を楽しむ余地が残されている。特に、シンジと父親との関係を時に丹念に描いていたアニメ版との違いなどは、注目に値する。原作をなぞるだけではないコミカライズの魅力が詰まった作品である。
物語の骨格の部分は、アニメ版だろうが漫画版だろうが同じであろう。他者と関わることの意味とは何か。他者とは永遠に分かり合えることはないかもしれないし、心を通わせた他者ともいつかは別れることになるが、それでも他者の存在を求める人間の心とは何か。少年少女による他愛もない日常のやり取りから、極限状態に追い込まれた人間の精神描写に至るまで、常にこの問いが投げかけられてくる。エヴァンゲリオンや使徒が防御のために使う「A.T.フィールド」すら、心の壁のメタファーとしての役割を果たしている。また、人類補完計画をめぐる戦いでは、超えられない他者との境界は、人々を憎しみや絶望といった醜い感情へと誘うものとなるか、他者と触れる喜びを得るためのものとなるか、問いかけられる。他者という存在に対する希望と絶望の狭間で苦しむ登場人物達の姿に、我々は普遍的な問いを見出し、心を揺さぶられるのだろう。
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