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自分が読んだ漫画の記録です。昔読んだものから最近のものまで、少しずつ揃えるつもりです。 コメント、トラックバック、お気軽にどうぞ。
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ウェンディ・ペイン 森見明日 ジャイブ 全3巻



ネバーランドの住人、ピーターパンは、お伽話の主人公達から影を奪っている。影を奪われた人物は、個性(アイデンティティ)を失ってしまう。影を奪われ、小さな少女となってしまったウェンディは、個性的な仲間と共に物語の世界を旅し、散り散りになったピーターパンの7つの影を回収しつつ、打倒ピーターパンを目指す。

お伽話の世界を違った視点から存分に楽しめる。出てくるのは、巨乳でドジなメイドと化したティンカーベル、イケメンで正義感に燃えるフック船長、巨大化したおやゆび姫、王子様との結婚を目前に控えた人魚姫、狼達のアイドル的存在の赤ずきんならぬ白ずきん… 物語のキャラクターが個性を失うと、こうなるのかと思わせる、絶妙な設定。人と会いながら旅を続けるという物語は、ともするとマンネリ化の危険が伴う。しかし、本作には、それぞれのアイデンティティを失くした人物がむしろ個性的に振る舞うという逆説的な設定がある。それでいて、無駄な登場人物はほとんどいない。各々のエピソードが、その後の展開に重要な役割を果たすというプロットの組み立ては見事。

ティンカーベルのパンチラなど、萌えを意識した場面があるけれども、後半に向かうにつれて、物語は予想を越えてシリアスに。物語の終盤、ピーターパンの思惑が明らかになると、物語の登場人物とは、作者や読者の存在意義とは、といった問いが投げかけられる。

本作のウェンディは、本家本元のウェンディとは異なり、年老いても空の飛び方を忘れるということはなかった。「あたしの幸せはあたしが決める」という信念の下、ウェンディは、物語の主人公、作者、読者という枠を破り、再びネバーランドという物語の世界へ帰る。一瞬、どこまでが物語で、どこからが現実の世界なのか、わからなくなる。お伽話の設定を借りたストーリーらしい締めくくりだった。
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じょしらく 原作:久米田康治 作画:ヤス 講談社 既刊1巻



女子落語家達による、楽屋でのどうでもいい話から始まる漫画。実際に落語をするわけではない。ただし、各話の題には、落語のパロディが取り入れられていて、巻末にはその解説もある。

久米田康治原作とあって、独特の雰囲気がある漫画。それでいて、作画はヤスということで、作画の線がシャープではなく、柔らかい。そのような意味では、新感覚と言えよう。

初め読んでいても、登場人物の名前が全員わからない、プラス名前が読めないので苦労。何せ、蕪羅亭魔梨威(ぶらていまりい)や、波浪浮亭木胡桃(はろうきていきぐるみ)ときたもんだ。さらに、名前がわかっても、覚えるのに苦労。名前三重苦といったところか。名前がギャグになっているところは、『さよなら絶望先生』を彷彿とさせる。

登場人物の落語少女達は、絶望少女達を毒抜きしたような性格で、全体的にゆるい雰囲気を演出(実は、各々ブラックな面を持っているのだが)。今後も、可愛い路線を突き進むのか、それとも、徐々に崩壊していくキャラを見せていくのか、展開が気になるところ。

第壱巻の最後には、第1話を久米田プロによる背景で再現したものが収録されている。これを読み、本作に感じた違和感の正体が、自分の中で明らかになった気がする。なるほど、本作では、背景が非常にすっきりとしているのだ。注目すべき対象は少女達のみ。この、あくまで中心は少女にあるという姿勢は、作中に盛んに出てくる、「この漫画は女の子の可愛さをお楽しみ頂くため邪魔にならない程度の差し障りのない会話をお楽しみいただく漫画です」という文句にも如実に表れている。つまり、背景についても「邪魔にならない程度の差し障りのない」背景でなければならないのだ。『さよなら絶望先生』の面白さは、描き込まれた背景にあるのだなと実感。その一方で、本作のすっきりした背景には、「絶望先生」にあるような、一見様を寄せ付けにくい雰囲気は皆無だ。どちらを面白いと捉えるかは、読む人に委ねられよう。
リューシカ・リューシカ 安倍吉俊 スクウェア・エニックス 既刊1巻



子どもと大人の境界は、曖昧なものである。大人びた子ども、大人になりきれない大人、子ども心を忘れない大人… それでも、物の認知、世界の捉え方など、やはり両者の厳然とした差を認識せざるを得ない部分もある。だからこそ、子どもの疑問は素朴でいて、大人の視点から考えてしまうと時に哲学的でさえあるのだ。

リューシカは、素朴さと想像力によって、独自の世界を作り上げる。リューシカの体験する世界の1コマ1コマは、大人の発想からは想像もつかない。それと同時に、リューシカの目線から語られる世界は、ちょっとした発想の転換について教えてくれるし、在りし日の自分を思い出させてくれるものでもある。本書は、リューシカが空想によって切り開く世界や、子どもの発想と大人の考えのぶつかり合いが、ある時は面白おかしく、またある時は切なく、描かれる。全編カラーで描かれていて、コマとコマの間も、話ごとに異なった色で塗り分けられている。なお、リューシカの台詞には、漢字が登場しないなど、表現に独特のこだわりが感じられる。

本書には、個人誌収録の初期エピソードも含めると、12の物語がある。個人的に特に好きなのが、「ないているの?」と「ふえたりへったりするもの」。「ないているの?」では、玉葱を切るために着用した眼鏡を洗って干したら、水滴が垂れ、それがまるで眼鏡が自分の代わりに泣いているように見えるというリューシカの空想を描いたもの。ページ数は少ないながらも、逞しい想像力を表現できる作者に脱帽。「ふえたりへったりするもの」では、物を片目で見ても1つ、もう片方の目で見ても1つ、だけど両目で見ても1つなのはなぜかという、大人から見ると哲学的な感のある疑問が投げかけられる。最後に描かれる夕日が美しく、カラーの醍醐味も味わえる。

作者によるあとがきも傑作。そう、子どもはなぜか「うんこ」という言葉に弱いのです。その辺りのこともよくわかっていらっしゃる。
神のみぞ知るセカイ 若木民喜 小学館 既刊9巻



ギャルゲーの「落とし神」こと桂木桂馬が、現実の女性攻略に奮闘するラブコメも、9冊目。ヒロインは、勝つことへのこだわりを持った将棋少女の榛原七香と、名家出身のお嬢様の五位堂結の2人。

アニメの制作スタッフも決まり、絶好調の本作。今回は、初めて前巻から2か月での発売となった。

1人目のヒロイン、榛原七香は、これまた魅力的な人物。奨励会入りを目指そうとするも、勝負に負けると大きなダメージを受け、心に隙間ができてしまうということだ。勝気な言動と関西弁がよく調和していて、殊勝な性格をうまく彩っている。内面に不安を抱えていても、つい強がってしまうヒロインは、少年漫画の定番中の定番と言えよう。そういえば、以前どこかで、男に「守ってあげたい」と思わせるには、「強がり」「生意気」「やせ我慢」の3つがキーワードになると読んだことがある。この人物、すべてが揃っているな。

2人目のヒロイン、五位堂結は、厳しい家に生まれ育ち、悩みを抱える少女。桂馬は、彼女を家から救い出すナイトとなり、攻略を目指す。ここまでは、七香編とは対照的に、少女漫画のようなストーリーかと思いきや、桂馬と結の身体が入れ替わってしまうという事態に。今回の表紙の訳は、こんなところにあったのだ。いつもの桂馬とは異なった言動と行動に驚く周囲の反応は、面白い。結編の解決は、次巻に続く。

今回も桂馬は考える。なぜ、人は今の自分に満足することができないのか。なぜ、人は現状以上のことを求めて、もがき苦しむのか。実は、この問題は、4巻の小阪ちひろ編で主人公が意識したもの。現実世界との間に距離を取って生きている桂馬が、現実の女性との相互作用を起こしていく中で、世界の捉え方をどう変化させていくのか。これも、本作の重要テーマの1つ。

その他にも、なぜ攻略した女性の記憶がおぼろげながらも残っているのかという謎に対して1つの解釈が示されるなど、イベントも盛りだくさんな9巻。単行本2桁台突入を目前に控え、ストーリーも盛り上がりを見せる。

現在、作者は大忙しらしく、巻末のおまけページでは、「ボクが死なないように祈っててください」との記述が… うぅむ、心配。


□過去の記事□
『神のみぞ知るセカイ(1)~(6)』
『神のみぞ知るセカイ(7)』
『神のみぞ知るセカイ(8)』
ヤンキー君とメガネちゃん 吉河美希 講談社 既刊18巻



秋も深まる時期、品川達は進路選択の時期を迎える。他のメンバーが大学進学を目指して予備校通いを始める中、品川は乗り気でない。しかし、周りから促されたのもあり、最終的には予備校に通うことを決意する品川であった。そんな折、品川の過去を知る女、八王子雫が現れる。実は、品川は、全国模試の上位に名を連ねる名門中の名門、大紫学園の中学出身だったのだ。2人は学年の1位と2位の座を争う仲だったが、八王子を不良から守ろうとしたことをきっかけに暴力事件を起こし、品川は大紫を退学になっていた。やがて、八王子の指導の下、品川達は全員で最難関の殿様大学進学を目標とし、勉強に励むことになる。

ドラマ放送に合わせ、2か月連続の単行本発売。そして、2か月連続の女性キャラの表紙。自分としては、足立花の弟、葉が来るのではないかと予想していたのだが、18巻の表紙は品川の姉、海里であった。少年漫画としては比較的男性が多い本作では、今までにない流れ。

これまで明らかにされてこなかった品川の過去と家族関係が明らかになる、重要回。不良というレッテルを貼られながら、なぜ品川は賢かったのか。品川の両親は何をしているのか。その謎が明かされた。ぶっとんだ父親である、宙太にも注目。気になるのが、宙太が足立について語った言葉、「気付いたらいなくなっちまってるタイプ」。徐々に高校の卒業が迫る中、卒業前に何か大事件が勃発するのだろうか。

文化祭以来、足立は眼鏡を外し、「メガネちゃん」が消えたため、タイトルの存続が危ぶまれているところに、彗星のごとく登場したのが、八王子雫。新たな「メガネちゃん」は徐々に存在感を増し、もはや足立のお株を奪う事態に。勉強を取り柄にし、退学した品川と大学での再会を誓った八王子が、優等生的な悩みを持ちつつも、自分の居場所を見つけようともがく姿は、一宮アンナや北見など、これまでの登場人物達と何ら変わりはない。しかし、中学の頃から時が過ぎ、品川の心が自分から離れていっているのに気が付くにつれ、品川への気持ちが単なるライバル心ではなく恋心だということも意識してしまうという切ない展開。同じく品川に惚れた水戸すばる、宮城さくらに続く悲劇のヒロインとなってしまうのか。

普通の高校生が最難関大を目指すという「ドラゴン桜」的な要素まで入り込んできた本作。今後の展開はいかに。久々の3か月後の発売となる、第19巻を待つ。次の表紙は八王子雫かな。


☆過去の記事☆
『ヤンキー君とメガネちゃん(1)~(4)』
『ヤンキー君とメガネちゃん(5)~(8)』
『ヤンキー君とメガネちゃん(9)~(12)』
『ヤンキー君とメガネちゃん(13)~(16)』
幻影少年 万乗大智 小学館 既刊3巻



秋月サトワは、人の脳波と同調することで、人の心の中に入る能力を持つ。行きつけの喫茶店を営む少女、小川水音とともに、カフェの2階にひっそりと事務所を設置し、依頼人の願いを叶える。

現在は、一見穏やかで正義感に燃える人物であるサトワの過去が徐々に明らかになっていく。怪物の幻影を映し出すことのできる能力を持つゆえの苦悩、人の心に入り壮絶なものを目の当たりにした経験。平静の裏に悲しみや苦しみを抱えながら、サトワは人を助けるため、ダイブを続ける。

人間の心は摩訶不思議で、複雑なもの。ダイブして奥底まで覗けば、単純に「良い人」「悪い人」で括ることのできない世界が広がる。心の底には、美しいところも醜いところも含めて、1人の人間の生き様が現れる。その生きてきた証から、何を考え、何を学ぶか。ダイブの行き先となる登場人物達のエピソードが訴えかける。

少年漫画の中では、比較的ハードな内容かもしれない。心の闇は不気味な絵で描かれるし、2巻の第3幻「償い」に出てくるプロの取立て屋のような、裏社会の人間を取り上げることも辞さない。さらには、第2巻第4幻「化け物」では、多重人格に苦しむ人間の苦悩まで描かれる。第3巻では、虐待を受けてきた犬に、自分の親の殺害現場に居合わせてしまった少女も登場する。

シリアス展開の合間に入ってくるのが、水音に関わる事件。今のところ、水音関係の事件は全てお色気方向へと進む。1巻に1回は外しを取り入れつつも、基本的には真面目な展開で、人間の根源的な問題と向き合おうとする筆者の姿勢は、評価されて然るべきだと思う。


▼過去の記事▼
『幻影少年(1)』
ヤンデレ彼女 忍 スクウェア・エニックス 既刊3巻



不良として恐れられる竜崎レイナと、秀才の田中学の高校2年生カップルが、友情に、恋愛に、そして(結果としての)お笑いに奮闘する漫画の第3弾。

時にお笑い、時に甘々のラブコメタッチの雰囲気は、相変わらず。2人がぶつかってしまうことで、人格が入れ替わってしまうという、第18話「チェンジ、それは俺がお前でお前が俺で」のような、どっかで見たような定番ネタもちらほらだが、今回は、これまでの登場人物達を活かす方向で進む話が多い。田中の妹、真夜美のドMキャラにはさらに磨きがかかる。田中のクラスメイトで皆からスルーされてしまう白鳥は、その役割を強化されてしまうかのように、さらにかわいそうな扱いに。また、コスプレマニアである、レイナのバイト先の店長が、実は大変なイケメンであったことも発覚。

この作者が巧いのは、田中とレイナの家族設定。不良として名を馳せるレイナの家族は、ヤンキー出身の母と、対人恐怖症だが誠実な父。一方、真面目で地味な田中には、ちょっとばかりアウトローな雰囲気の祖父。田中とレイナは一見真逆の道を行く2人に思えても、お互いの家族を考えると、2人が好き合うようになるのも必然に感じられてしまう。

趣向を変え、登場人物達に「シンデレラ」を演じさせてしまう、第21話「シンデレラ、それは幸せの在り処」など、飽きさせない工夫も。ストレートに楽しめる話が多くなったところが好印象か。


○過去の記事○
『ヤンデレ彼女(1)』
『ヤンデレ彼女(2)』
ヤンキー君とメガネちゃん 吉河美希 講談社 既刊17巻



香川を会長とする新生徒会が発足し、紋白高校は夏休みを迎える。新旧の生徒会引継ぎ合宿、旧生徒会メンバーの旅行と、品川達は夏休みを満喫する。休み明けには文化祭の準備に入り、まだまだ品川達生徒会メンバーの活躍は続く。クラスの実行委員に選ばれてしまった品川は、学校を休みがちな宮城さくらと共にクラスの文化祭企画を成功させようと奮闘する。

時は淡々と過ぎていくのに対して、数々の重要事件が起こる。特に大きな事件としては、品川がついに足立の正体を知ることになるシーンであろう。まさか、単なる実行委員の仲間に過ぎないと思っていた宮城がここまで決定的な役割を果たすとは。今までの憧れの存在であった女子生徒と目の前にいる足立花が同一人物だということに戸惑う品川。しかし、徐々にその現実を受け入れようとしていた矢先、事件が起こる。ひょんなことから足立が眼鏡とお下げを取って登校するようになり、学校中の話題になる。探していた足立花を見つけたということで、揚羽工業のメンバーも動き出す。

本編として重要な部分の面白さはもちろん、そのバックに入っているちょっとした話もなかなか。特に、千葉が女性陣の勢いに着いて行けずに、旅行の行き先決めで苦労する話などは、うまいところを突いてくるなと思う。また、高校受験以前に品川と足立が会っていたというエピソードの「メガネ君とヤンキーちゃん」は、2人の縁の深さを物語る。今まで影に隠れがちだった姫路にも焦点が当たる。財閥のお嬢様だったという隠れ設定が明らかになり、自分の素性と真剣に向き合う決意をし、隣の青筋学園に転校する。

最近の傾向として興味深いのは、和泉のキャラクターが以前よりも崩れてきていること。勉強と喧嘩を究めることを目指す自信過剰な正確はどこへやら。服のセンスが悪い人物として定着しつつある上に、自分のドジな部分まで意識してしまうという有様。人と人が関わることの面白さか。

品川にスポットライトが当たる本編もさることながら、それ以外の部分もしっかりしている。図と地の両方で楽しめるという点で、魅力的な作品。


◎過去の記事◎
『ヤンキー君とメガネちゃん(1)~(4)』
『ヤンキー君とメガネちゃん(5)~(8)』
『ヤンキー君とメガネちゃん(9)~(12)』
ナイトメア・ゴー・ラウンド 鈴見敦 スクウェア・エニックス 全2巻



大学生の三國蓬と、高校生の葛葉ヒロカは、幼馴染み。新聞部に所属するヒロカは、スクープを狙って町外れにある廃遊園地を蓬と共に訪れる。そこで、園長と名乗る少女と、くりすというぬいぐるみ男と出会う。記念品として贈呈された「悪夢の匣」を開けてしまったことをきっかけに、人々の悪夢を掃除するナイトメア・スイーパーに任命されてしまう。ナイトメア・スイーパーの目的など、細かいことは一切秘密にされたまま、蓬とヒロカは悪夢掃除に奮闘する毎日を送る羽目になる。

1巻では、2人がナイトメア・スイーパーとして悪夢を掃除するうちに、身近な人の意外な側面を知るという過程が主に描かれる。2巻では、園長とくりすの謎に関わる過去の事件が明らかになるとともに、遊園地を狙う華邑建設との戦いが描かれ、完結に向かう。

「ナイトメア」というと、何となく暗く、陰鬱な雰囲気が連想されるが、本作で圧倒的割合を占めるのは、コメディータッチの展開。それを基本とした上で、人間が心の奥底に秘めた人知れぬ想いや欲望がスパイスを添える。

後半の、過去が明らかになり、華邑建設の思惑、すべての発端となった夢魔の契約の秘密が明らかにされる展開は、まるで遊園地のジェットコースターのような速さ。場面が目まぐるしく切り替わりながら、やがてすべての分かれ道が1本の道に収束する構成は、緊張感がある。

適度に用いられた見開きの絵、デフォルメ画、ちょっと不気味な悪夢の世界など、作者の絵の良さが存分に引き出されている。前作『Venus Versus Virus』を彷彿とさせるような、作者お得意のボブカットの少女や、セクシーキャラ、眼鏡美人も登場。思わずニヤリとされられる。

軽い流れの中にほろっとさせる部分もある作品が好きな人にはお勧め。シリアスになり過ぎず、ギャグ路線に固定することもなく、読みやすい作品。
さよなら絶望先生 久米田康治 講談社 既刊21巻



ネガティブ教師の糸色望と、彼が担任するクラス、2のへ組の生徒が展開するギャグ漫画。昨年の年末から今年の初めの時期に掲載された作品を収録。

表紙が主人公の糸色望ではなく、女生徒に変わってから早1年。このパターンももはや定着といったところか。

前巻で連載200回を突破したものの、正直気になっていたのが自虐やメタなネタの多さ。若干加減しないと冷めてしまうなと心配していただけに、今回の収録作は純粋に楽しめる話が多くて安心。大爆笑ではないけれど、マグニチュードの小さな笑いが断続的に訪れるような感覚。

隙間に入り込む「スキ魔」、値踏みをする「ねぶみ小僧」という1回きりの登場となるであろうキャラクターが現れる話、節分で豆ではなく豆知識を撒いたゆえに、それを食べた鳩が賢くなってしまうという超設定を取り入れた話は、少し前の絶望先生を彷彿とさせるネタ。さらに、噛み合わない議論を「対極拳」と名付けるなど、独特のネーミングセンスも健在。もちろん、現代社会に対する的確な突っ込み、風刺も忘れない。「絶望した!」の台詞もバッチリ聞くことができた。何だか、かつてこの漫画に出会い、面白いなと思った頃の感覚が蘇ってきたように思える内容だった。

ちなみに、今回表紙の彼女は、最近すっかり登場頻度が低くなっている模様。使い勝手が悪いのかな。


●過去の記事●
『さよなら絶望先生(1)~(19)』
『さよなら絶望先生(20)』
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